
最近はFBやTwitterばかりしてたなぁ〜・・・・・・・

釣りのほうは冬の間お休みして、家の片付けしたりして過ごしてました。
こんな事は、ここ数十年なかったことで自分でも驚いてます。
で、旦那さんは去年からDIYに目覚め、倉庫の修理をしたりテーブルや棚を作ってくれたりと釣りに行く以上に忙しかったみたいです

しかし、暖かくなってくると何かそわそわしてきて釣りに行きたい病が始まりました
イガイが大きくなるのを待って6月からスタート

今年は地元和歌山も、場所限定でイガイが付き期待が持てます!!
調子よくボーズ無しで遊んでいたのですが、7月1日・・・・・
この日は私にとって、家族にとっても忘れられない日になりました。
忘れたいけど忘れることは出来ない・・・・自分の記録として書こうと思います

7月1日連休初日!
朝から母のカットなどをしてあげ、あくる日が父の88回目の誕生日だからお花を持ってお祝いに行きました。
病気の父は、花なんかはじめてもらったと喜んでくれ、照れるな〜といいながら写真を撮ったりして過ごしました。
午後三時過ぎ、潮の高さも行けそうなのでいつものところに落とし込みに行くことに。
釣り始めるも、アタリがないので場所移動。
旦那さんが早速釣ってます。
私はアタリは貰えるも掛けれず少しイライラ・・・・・・・

で、やったことのない場所に旦那さんを誘い先に行き、下に降りれる階段があったので降りてみました。
いい感じと思いながら落とそうと一歩踏み出したときに、思いっきり後ろ向きに滑ってこっけてしまったんです。
乾いていると思ったところが表面だけ乾いていていて、下はぬかるんでいたようです。
何が起きたのか一瞬分からず、旦那さんの大丈夫か〜?の問いかけに手が自分の思ってるところにないと言ったのを覚えています。
自分では腕を曲げてると思ってたのに、実際は地べたにペタンと付いてました。
動けるか〜?の問いかけに起き上がろうとしても体はピクリとも動きません。
どうしょう、どうしょう・・・・・それしか言えない自分・・・・・・

旦那さんが救急車を要請し、分かりにくい場所だったので分かるところに出て待つからその間一人で待ってろと言い残し行ってしまいました・・・・・
一人残され、仰向けの状態から動けず、暮れ行く空をみながら涙が出てきました。
この時の空の色は一生忘れないでしょう・・・・・。。
足と手の指先がわずかに動いたので、あっ動けると少しだけ安心。
しかし、その後今まで味わったことのない痛みが襲ってきました。
両腕、背中、胸・・・・・腰から下は痛くはなかった。
しばらくして、救急車のサイレンと消防車のサイレンが聞こえてきて、レスキュー隊の方が沢山走ってくるのが分かりました。
口々に大丈夫ですか〜?と聞かれるけど痛みで答えられない・・・・・・
首を固定され担架に乗せられる時も、声が出ないくらいの激痛が走りやめてといってたと思う。
体も固定され、痛みと戦いながら救急車まで運ばれていき、場所は言えませんが、途中を土手あがるので私の重たい体を屈強なレスキュー隊の方が運んでくれたようです。
日赤病院に運ばれ、着ていたベストと上着を脱がされタンクトップ一枚にされレントゲンからのCTへと移動。
その度、ストレッチャーから移動するわけですがこの世の物とは思えない痛みにただただ耐えるしかありませんでした。
最後に、MRIを撮り医者の『まずいなぁ・・・・』という言葉に事の重大さを実感しました。
中心性脊髄損傷・・・・・・
これが、つけられた怪我の名前・・・・・・

この時、足が動くのが分かりホッとしましたが、両腕はほぼ動きませんでした。
で、何故か警察の人が事情を聞きたいと言ってますが、と看護師さんに言われ???でしたが
レスキューが要請されたら警察は付き物らしく、本当に自分でこけたのか?誰かに押されなかったかをしつこく聞かれ、自分でこけたと何度も言わされました。
痛いのに勘弁してくださいって感じです・・・・・
そこからER病棟に移され旦那さんや来てくれていた娘夫婦、姉夫婦が帰り一人になると情けなくて泣けてきました。
こんなことになって、仕事や家の事そして親の事・・・・・・・いろんなことが頭をよぎり殆ど眠れず朝を迎えました。
朝食が出ていますが食べれますか?と聞かれても無理です・・・・としか言えません。。
看護師さんが小さくちぎって口に運んでくれるのですが、砂を噛んでるような感じでした。
朝から旦那さんや娘が着替えとか入院に必要な物を持ってきてくれ、二人の顔を見たらホッとしたのを覚えてます。
家族っていいなって改めて思いました。
お昼前に一般病棟のお部屋が空いたので移動することに。
少しの揺れや段差が激痛になります。
ベット移動しエアマットが体に心地よく、少しだけ楽になりました。
しかし、胸から上に布団が少しでも載ると激痛と呼吸困難になり不安ばかりでした。
一つ困ったことがここで発生!!
恥ずかしい話ですが、オシッコがまったくでないのです。
ベットは60度までしか上げてはダメとの医者の指示。
こんなんじゃ尿意はあるのに、ベットの上で採りますと言われても出るものではありません。
導尿するか管を入れっぱなしにするか?と聞かれどちらも嫌ですとわがままを言って看護師さんを困らせました。
自分でいくつやねん?と突っ込みいれ覚悟を決め人生初めての導尿をしました。
もう、恥ずかしいとかそんな次元ではなかったです。
三日目に、リハビリの先生が来て痛いでしょうがベットに座って車椅子に乗りましょうといわれました。
初日よりは痛みは少しましになってきたとはいえ、まだまだ触られると激痛が走ります。
なので介助を頼めないのです。
この頃には、右手は何とか動くようになってたのですが、左手が殆ど動かせず車椅子に乗るのに難儀しました。
入院してる病棟がどこかさえ知らなかった私を、車椅子で一周回ってくれ色々説明してくれました。
感想は、良かった!!新館やったんや〜でした!!
新しい病棟は当たり前ですが綺麗だし気持ちよかったです(笑)
この日から、看護婦さんに言って部屋のトイレに車椅子で行っていいと許可が下りものすごく嬉しかったです。
この日を境に、リハビリの先生にも医師にもミラクルと言われるほど回復していきました。
リハビリに行く度に手の動きが戻ってきました。
リハビリ初日右の握力5キロ!
左0.5キロ(笑)
だったのが、二週間目の退院の日には、右12キロ、左8キロまで回復。
まだまだでしたが、最初に比べるとうそのように力が入り嬉しかったです。
特に左側に損傷がひどかったので、気長にリハビリだなと覚悟を決めました。
で、現在右18キロ左15キロまで回復!!
あと一息です!!
仕事もボチボチ復帰しました。
長時間は疲れるので体と相談しながら頑張ってます。
釣り人は釣果が無いとむきになりやすいですが、今度の怪我もむきになったことが原因と思います。
もう一度竿をもてるのを目標にしていますが、行けるようになったら無理せず釣れても釣れなくても楽しめる釣りを目指します。
嫌な話を書いてしまい申し訳ございませんでした。
自分を戒めるためどうしても書いておきたかったんです。
まだ、リハビリは続きますがこうやってPSのキーボードをたたけることに感謝です!!
近いうちに必ず仕事も釣りも完全復帰しま〜す

またそのうち入院中の事を思い出しながら書きたいと思ってます